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老罠(わな)猟師の害獣駆除奮闘記―X

 私は2月某日午前、某村某集落の湯湾岳(694m)裏山に仕掛けた箱罠3カ所の確認で、林道から山道に入った。そのうちの一つの箱罠にイノシシが掛かっていた。私はもう後期高齢者と呼ばれる世代に入っている。この時ばかりはワクワクしながら足取りも軽く急ぎ足で罠に近づいた。私を見掛けたイノシシは、逃げ出そうと罠の鉄筋にぶつかり、攻撃的に身構えたりした。

 罠の見回り中には、いつも持ち歩くスタンガン(電気止め刺し機)を注意深くセットしてから、罠の中で逃げ回るイノシシの鼻目掛けて高電圧の電極棒の先端を当てた。するとイノシシはもんどり打って倒れ気絶した。持ち帰る途中で蘇生しないよう、念を入れスタンガンを7回、8回と打ち込んだ。一番緊張する瞬間だ。

湯湾岳麓にある某集落の耕作放棄地

 今回捕獲したのは40Kgほどのものだった。しかし、ここから軽トラックのある所まで降ろすのが大変だ。狩猟仲間の若者(と言っても60代だが)を呼ぶため、携帯電話の通じる所まで山を下りて電話を掛け、手伝ってもらうことにした。

 大和村から二人、宇検村からは一人の仲間が駆け付け、担いで降ろしてくれた。その後、イノシシは解体され、(ジビエ料理の苦手な自分は食べないが)若者らの酒の肴となった他、余った肉は我が家の冷凍庫で保存することにした。

罠に掛かったイノシシ 解体前に毛を焼かれたイノシシ

 私が害獣駆除をするようになったのは、65歳の時にUターンで奄美へ帰省したのがきっかけだった。道楽で柑橘類の栽培などを始めたが、カラスやイノシシの襲撃にはなす術(すべ)もなく、見るに堪えない状態だった。それは自分ばかりでなく他の人たちも同様で、田畑にはイノシシの防護柵が設けられ始めていた。

 しかし、柵を壊されたり乗り越えられたりで、タンカンなど柑橘類の被害状況は、イノシシの大きさからは想像できないほどの高さまで柑橘類が食い散らされ、「キレイにむかれた皮」が木の周りに残されていた。

 丹精を込め育てて収穫を楽しみにしていた農家の方々の落胆は目を覆うばかりで、慰める言葉さえ失った。高齢化やそんな事などもあり、段々と耕作放棄地が増えていったような気がした。その耕作放棄地でイノシシがさらに繁殖するという悪循環に陥っていた。

65歳で狩猟を決意

 「防ぐだけでは解決しない。攻めに転じなければ」と、村役場に働き掛けることにした。しかし、初期投資や労力、それに不安定な収入などから害獣駆除に取り組む人は少なく、村には高齢者の猟師が数名いるだけ。駆除の実績も農業被害の軽減にはほど遠いのが現状だった。

 当時65歳の私には「怖いもの知らず」の冒険心があった。初めに狩猟免許を取り、専門家のアドバイスを頂きながらイノシシの箱罠(0.9×0.9×2m)を購入。山から田畑に下りて来る前に「山中」で捕獲する取り組みを始めた。

 1台80Kgもの箱罠を勾配20度の山中に設置するには一人では不可能で、キャタピラーを持つ人に頼むことから始めた。設置出来る場所は集落ごとにテリトリー(猟場)があった。さらに「西日が差さない」「終日木陰」「自動車騒音が無い」などの条件をクリアしながら「獣道」を探す事だった。

林道で箱罠の見回りを準備する私 バケツで餌の米ぬかを運ぶ私

 最近、素人ながら13年の経験を経てようやくそんな”穴場”が見つけられるようになった。おびき寄せる餌は米ぬかで、箱罠の中に丼の6杯分、それに周囲には丼5杯分をまき餌として置いている。

 イノシシの学習能力は高く、強度の弱い安価な箱罠の鉄筋を曲げて逃げられた事もあった。逆に、学習した記憶は「餌場」と認識すれば、執拗に何度も侵入するようになり、同じ場所で3カ月設置したまま数頭を捕獲した事もあった。まさにイノシシとの知恵比べのようなものだった。

 当初は、箱罠に入ったイノシシを取り出すのに外から「金属槍(方言でトゥギャ)」で心臓を突き刺して殺していたが、箱罠に鮮血が付着すると箱罠を洗浄しなくてはならず大変だった。

害獣駆除用のスタンガン=電気止め刺し機(資料提供:太田製作所

 そこでネット人間の私は害獣用スタンガンを探し、それ以来クリーンに捕獲できるようになった。私の狩猟仲間でもスタンガンを使用する人が増えている。ただし、スタンガンは「高電圧」で使用するので人間にも危険だ。よって電気に疎い人には勧められませんが。

湯湾岳の猟場に通じる林道

 某村の昨年のイノシシによる被害額は「タンカン・サトウキビ・農作物」が約300万円ほどだ。まだ人身事故の報告は無いが、行政にはもっと捕獲数を増やす取り組みが求められると思っている。

 しかし、村役場の助成金を含めても1頭「15,000〜17,000」円程度の報酬に魅力を感じる人は少ないでしょう。それでも「シニア狩猟家」のは、老体にむち打ち足を引きずりながらも、年間5〜6頭のイノシシ駆除にワクワクしながら対峙(たいじ)する日々を過ごしている。

(実高卒、2024.03.01up)

 HP管理人から⇒この村では、狩猟期間の他に有害鳥獣の捕獲事業期間(4月〜10月末、国の補助事業)と併せ、ほとんどの期間中でイノシシの捕獲が可能です。村全体での年間の捕獲数は100頭を超える程度だそうです。


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