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富士山すそ野一周を歩くC−HP管理人
         
〜須走(静岡県)から樹空の森まで〜

 小生は今春から富士山のすそ野を一周する某旅行会社のウオーキングツアーに参加することにしました。毎月1回開催で第17回まであり、全周は約153Kmの距離になります。

 以前、小勝顧問ご夫妻が行ったウオーキング日帰り旅行に倣い、後期高齢者になる前にと思い立ちました。第4回目(7月20日)は、須走から樹空の森まで。17回では距離が一番長いという約12Km、歩行時間約4時間30分。天候は薄曇り


 終日、薄曇りと雲間から時折光が差す天気の繰り返しで、富士山にはずっと雲がかかっていました。拝めたのは出発地に向かうバスの中からだけで、それもすそ野だけが見られるウオーキングツアーとなりました。

 第3回に続き今回もほとんどが舗装道路上を歩くもので、緩い登りや下りがあるかなり単調な行程でした。春から初夏にかけての花は終わっていましたが、民家の庭先に咲くノウゼンカズラや匂い立つヤマユリが咲き誇り、季節の移ろいを感じました。また、爽やかなヒグラシの鳴き声が蒸し暑さを忘れさせてくれました。

第3回はこちら ・第2回はこちら ・第1回はこちら ・小勝ご夫妻一周ウォーク
本来はこの辺りから迫力のある富士山が見えるはずだった(標高3,776m)


ひっそりとたたずむ伊奈神社

 資料によると、伊奈神社は宝永4年(1707年)の富士山(後の宝永山)大噴火で、被害を受けた御厨(みくりや)地域(現在の小山町や御殿場市など)の復興を命ぜられた伊奈半左衛門忠順(ただのぶ)を祀っている。

 伊奈氏は現地の惨状に驚き、幕府に早期の救済金などを要望したが受け入れられず、幕府の貯蔵米を放出し、住民の飢え死にを防いだ。しかし、無許可で米倉を開けた責任を問われ、切腹させられた。その徳をしのんで地域住民が建立したのだ、という。

    辞世の句は「玉露と消え行くわが身は惜しまねど心に残る御厨の里」

満開のヤマユリ

のんびりと草を食む馬

道祖神 ワサビ田
 
 川柳(かわやなぎ)浅間神社は小ぶりの神社ではあるが、社殿の前にある根のつながったスギの古木が目を引きます。樹齢500年と伝えられ、静岡県指定の天然記念物です。

 このスギの名は「扶桑樹」と呼ばれており、御殿場に別荘を持っていた明治の海軍大将樺山資紀(すけのり、白洲正子の祖父)が名付けたという。ちなみに扶桑樹とは、中国では昔、太陽が昇る東方の海中にあるといわれた神木を言うそうだ。


さくら公園内にある富士山(後の宝永山)噴火の様子を表す碑


陸上自衛隊車両

 今回歩いたこの地域のすそ野には自衛隊東富士演習場や駐屯地などが広がっており、その総面積は東京都の練馬・江東両区を合わせたのに匹敵する広さだそうです。

 それだけに自衛隊の車両が行き交い、演習場からは時折砲弾の爆発音も聞こえてきました。我々が自衛隊車両に手を振ると、敬礼や手を振ってあいさつを返してくれました。ここでは、自衛隊が多くの地域住民から受け入れられているのを実感しました。

野中夫妻顕彰碑

 さくら公園の近くの林の中に野中至・千代子夫妻の顕彰碑があります。資料によると、至は日本の気象学者で、妻の千代子と共に私財を投げ打ち富士山頂で最初の越冬観測を試みたことで知られています。後に気象庁職員で富士山頂勤務の経験を持つ新田次郎が、野中夫妻の活躍を「芙蓉の人」として著しました。

 ひっそりと建つ山神社の御祭神は「大山祇命(おおやまつみのみこと)」、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)などの5柱です。

山神社

 
樹空の森ビジターセンター

 ウオーキング終了後の温泉は富士山樹空の森公園内にある「御胎内温泉」。湯船から見える富士山を楽しみにしていたのですが、最後まで厚い雲に遮られていました。

 今回から高速バスのルートが往路は中央高速、復路が東名高速利用と変わり、八王子市の石川パーキングエリアでの途中下車が出来なくなりました。

(HP管理人=山田信廣、2023.07.27up



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