富士山すそ野一周を歩くB−HP管理人
〜山中湖から須走(静岡県)まで〜 |
小生は今春から富士山のすそ野を一周する某旅行会社のウオーキングツアーに参加することにしました。毎月1回開催で第17回まであり、全周は約153Kmの距離になります。
以前、小勝顧問ご夫妻が行ったウオーキング日帰り旅行に倣い、後期高齢者になる前にと思い立ちました。第3回目(6月25日)は、山中湖から須走冨士浅間神社まで。距離約9Km、歩行時間約3時間30分。天候は薄曇り。
終日、薄曇りと雲間から時折光が差す天気の繰り返しで、富士山にはずっと雲がかかっていました。拝めたのは帰路に着くバスの中からで、山頂だけが見られるウオーキングツアーとなりました。
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帰路のバスの中からやっと見えた富士山(標高3,776m)
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ひっそりとたたずむ加古坂神社 |
今回はほとんどが舗装道路上を歩くもので、東大演習林などを経由して篭坂峠までは緩い登り、その後は下りでかなり単調な行程でした。
その上、その峠までは車がそれほど多くなかったものの、峠で国道138号線と合流してからはドライブなどを楽しむ行楽客のバイクや車が多く、その騒音を聞きながらのウオーキングとなりました。
道中、峠の近くには藤原光親卿を祭る加古坂神社がひっそりとたたずんでいました。光親卿は後鳥羽上皇が起こした承久の乱(承久3年)で謀議に加わったとして、鎌倉幕府方に捕らえられ鎌倉へ護送される途中、この峠近くで斬首されたそうです。
光親卿の墓は、国道を須走側へ1キロほど下った所(静岡県小山町)の右山上にあり、さらに下った夕月公園には昨年5月、藤原光親卿墓所遥拝殿が設けられました。
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藤原光親卿墓所遥拝殿(画像クリックで拡大します) |
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ウオーキングコースから望む立山
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山梨・静岡県境にある標識 |
前段で記した夕月公園に建つ夕月の碑には、浜松市生まれで教師をしながら俳句に一生を捧げた原田浜人(ひんじん)の「籠坂の月夜遅し谷の虫」という名句が、さらに碑の裏面には武者小路実篤の筆で、浜人の功績をたたえる言葉が刻まれていました。
また、小山町は金太郎生誕の地としても知られており、金太郎は同町のPRにも一役買っているそうです。
本日のゴールは冨士山東口本宮浅間神社。同神社のHPなどによると、平安時代初頭の桓武天皇の時代に富士山の噴火が続きました。当時の国司(朝廷の役人)は延暦21(802)年、恐れおののく住人のために富士山東面(須走の地)に斎場を設けて鎮火祭を行ったところ、同年4月初申の日に噴火が収まりました。
この御神威を畏(かしこみ)み参拝するため、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地(現在の社殿)に神をお祀りしたことが、同社の創建と伝えられているそうです。
主祭神は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)、相殿(あいどの)神は大己貴命(おおなむちのみこと)と彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が御祭神です。
平成25(2013)年には、信仰の山・富士山の構成資産の1つとして、富士山とともに世界文化遺産に登録されました。現在の富士山須走口登山道の起点として、富士山東口本宮と尊称されているそうです。
ウオーキング終了後の温泉は第2回と同じ「紅冨士の湯」。湯船から見える富士山を楽しみにしていたのですが、厚い雲に遮られていました。
今回の帰路は、同行者のSさんの道案内で八王子市の石川パーキングエリアでツアーバスを降り、そこからJR八高線小宮駅まで歩き西武拝島線経由で帰宅しました。
バスで新宿駅まで行き、西武新宿線で帰るより時間の節約になりました。八高線に乗るのは初で、こんなルートがあるのも新たな発見(!?)となりました。
(HP管理人=山田信廣、2023.06.29up) |
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