私はこの秋、歌人の親睦団体である日本歌人クラブから下記2首の応募作で奨励賞(賞状)をいただいた。
「安らかに黄泉逝く父の細き脚 遠き道のり背負いてあげたし」
「父ちゃんの微かに震える手を取れば 皺多き指手話で応える」
私が短歌をたしなむようになったのは、宇検村の公民館講座短歌教室・主宰の大島安徳先生にお誘いを受けたのがきっかけだった。還暦を過ぎた62歳の夏だった。
東京から母との生活を楽しみに単身で帰省したばかりだった。幼い頃、祖母から和歌を聞いてはいたが、和歌への関心が母との共同生活の中で母を慰め、母の人生を支えるにはこの上もない事と、ちゅうちょなく先生の門下生になる決意をした。
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参集殿での記念撮影 |
それ以来15年。心からなる指導をいただき、先生とのこの奇縁良縁には無上の光栄と喜びを感じている。
わずかな歌友でスタートした「やけうち短歌会」は新聞投稿をはじめ、宮崎みどり館長とのご縁でフォト短歌等を含めた「奄美パーク・田中一村記念美術館での企画展」も3回開催した。観客動員2千名超えは、いまだに誘客数の記録だと聞いている。
さらには歌友の個展など、従来の短歌会には見られない広がりの中で児童生徒・成人合わせて105名の大きな歌会に成長した。真面目に誠実に取り組み、天国に旅立った母との暮らしなどを(日常的な新味のない短歌ばかりだが)、老いの情熱を傾けて詠み続けてきた。
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参集殿入口に立つ私と賞状 |
そんな私に「日本歌人クラブ」から第45会記回大会への寄稿を促され、とりあえず添削推敲(すいこう)を期待し前掲2首を寄稿した。
ちなみに日本歌人クラブは、国内では最も古い歴史と最大の規模を持つ歌人の団体だ。現在、約2千名の会員が所属し歌人相互の親睦を図り、歌壇の発展に寄与することを目的とした歌人の団体である。著名な指導者が多く、私達には手の届かない団体であることは認識していた。
記念大会入賞の知らせは封書で届き、授賞式が明治神宮・参集殿であると参加を促されたのである。79歳にして新たな胸の高鳴りを覚え、短歌教室の子供達と喜びを交わした。
当日は予定時刻の2時間前に明治神宮・参集殿に到着。50名ほどの入賞者の中にいる自分に不思議さと戸惑いを感じ、うれしさはさほどなかった。
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明治神宮の参集殿 |
その後、久しぶりの上京なので高校の同級生3名と有楽町で再会し、今回の慶事を報告。ケーキをつまみに乾杯、祝ってもらった。来年の「東京配田ヶ丘同窓会」総会に参加する約束もした。
同級生の忌憚(きたん)のない会話のなかで感じたのは、今回の短歌も「自分の心のままに」素直に思いを表現すれば、読む人の心を動かす事を再認識した。
「大河ドラマ」にあるような「恋の歌」はとても詠めないが、来年の歌人クラブの招待を期待しながら、自身の実体験をベースに観察眼を研ぎ澄ませ詠んでいきたいと思っている。
イヤな記憶も短歌作品として昇華できるのは、精神的にとても良い。自分にとっては短歌は「人生の棚卸しをする」、そんな感覚だ。それから自分の感情とのクッションになってくれる不思議な存在でもある。
「師の夢は我の夢なり今日からは 万葉集をめくる秋風」
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