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さつき盆栽錦秋展に出品−記原正一郎

 第11回さつき盆栽「錦秋展」は11月22日から24日までの3日間、東京都庁南展望室および都政ギャラリーで開催されました。

 小生も初めて下記写真の1鉢を出品、展望室で展示してもらいました。会期中は天候にも恵まれ、展望室を訪れた多くの方々がサツキ盆栽約100鉢を熱心に観賞してくれました。

「大盃(おおさかずき)」(幹回り約60センチ、樹高約65センチ)

春の大盃(上の写真とは別鉢、自宅栽培場)
大盃と小生(都庁南展望室にて)

 小生が出品したのは「大盃(おおさかずき)」という銘のサツキで、10年ほど前に購入した一品です。別の鉢ですが、春は写真(左上)のようなピンクの美しい花を咲かせてくれます。

 花の咲いてない時季でも大木を思わせる堂々とした幹回りで枝葉が広がり、しっかりとした立ち姿が魅力です。「サツキに魅せられ40年」でも記したように、サツキ盆栽はいろんな花の美しさと盆栽の自然美の双方が楽しめます。

他の愛好者が育てたサツキ盆栽の数々


・さつき盆栽錦秋展特集ページを見る


(S38年実高卒、2013.11.28up)


“ヤマイモホィッ”奮闘中−HP管理人

 一昨年春に植えたヤマイモが収穫時期を迎え、HP管理人はヤマイモの掘り出しに奮闘している。ヤマイモの栽培は初めてだった。栽培方法は竹の支柱を立てるだけ(台風で倒されたが)。

 特別に肥料を与えるでもなく病気になったり害虫に食い荒らされるでもなく、意外と簡単だった。しかし、その収穫には大変な労力が必要だ、というのが分かった。足腰の疲れを気にしながら、年内いっぱいは塹壕(ざんごう)を掘るような力仕事が続きそうだ。

延べ3日がかりで収穫したヤマイモ。長さは約80センチ
 
 これらのヤマイモは、小生が所属するテニスクラブの生け垣に生っていたムカゴ(零余子)をもらい、借りている9坪程度の市民農園で栽培していた。写真(上)のヤマイモは、2年半ほどの間にスコップほどの長さになり、太さはそれの柄以上に生長していた。

 小生が掘り始めたところ、隣の区画の方(小生より年長者)がヤマイモ掘りのお手本を見せると言って手伝ってくれた。しかし、思いのほかかなり根が深く張っていたためか、お手上げ状態となり「後はお願いします」と途中で放棄してしまった。

 その後、小生が延べ3日間20分程度づつ掛けて、スコップの丈より深い穴を慎重に掘り、周りの土を落としながら収穫した。

 収穫したヤマイモは主にとろろにしてから、生卵やのりと合わせ熱々のご飯に掛けたり、みそ汁に入れたりして食べている。また短冊切りにすると酒のつまみにもなる。ヤマイモは昔から元気が出る食物と言われており、何となく精がついた気分になる。


小ぶりのヤマイモ

ヤマイモのとろろ

顔を出したヤマイモ。これからが大変だ

収穫後にできる塹壕のような穴

ムカゴ
葉っぱが枯れた頃が収穫時期


 前記の通り、ヤマイモの掘り出しはなかなか大変で、骨が折れる作業だ。小生の場合、20〜30分もやっていると足腰に疲れが出てくるので適当に切り上げている。一方で、山中で自然に育ったヤマイモ(自然薯)を求め掘りに行っている人がいる。

 足場が悪く木の根っこや石ころだらけの中で育った“それ”は曲がりくねっている。特殊な道具を使うそうだが、それでも掘り出すのは畑よりもっと大変な作業になるようだ。昔、自分もやってみたいと思ったことがあったが、とても無理だろうと分かった次第だ。

 余談だが、鹿児島県本土では「ヤマイモホィッ(ヤマイモを掘る)」というかごんま弁がある。
20数年前、鹿児島市での在勤時代に「ヤマイモホィッ」はよく聞いた言葉だった。最初、意味がよく分からなかった。

 その意味とは、山の中で自然に育ったヤマイモは、曲がりくねっておりいつまでもしつこく掘らねばならず難儀な作業である。それが転じて酔っ払って同じことを何度も話したり、しつこくくだを巻いたり、難しいことをしゃべって座をしらけさせ、周りをイライラさせる人が「ヤマイモホィッ」と呼ばれるそうだ。あまり良い意味では使われてない言葉だ。

 
山でのヤマイモホィッは掘る方が大変だが、酒場などでのそれは掘られる方が迷惑この上ない。自戒しなければならない言葉だと思いながら、ヤマイモをつまみに焼酎を飲んでいる今日この頃だ。

(山田信廣=実高S43年卒、2013.11.28up)


徳永ゆうき君デビュー前夜祭開催−東京奄美会女性部も出演

 東京奄美会などで演歌を披露した奄美2世の徳永ゆうき君(18歳)が11月12日夜、東京タワーでデビュー前夜祭のライブを行いました。ライブには東京奄美会女性部5人の皆さんも出演し、踊りで花を添えました。

 ゆうき君は午後7時50分、大展望台club333のステージにいつもの水兵さんスタイルで登場。タワーボーイズの一人から「どこの港に船を泊めてきたの?」などとのツッコミを入れられ、いつもの笑顔で軽妙に答えた後、自身で前夜祭を司会進行しました。

 歌った曲は「東京てぃんさぐ赤い花」「十九の春」「三線の花」、デビュー曲となる「さよならは涙に」の4曲。大島紬を身にまとった奄美会女性部5人は、「十九の春」と「三線の花」の歌に合わせ、ゆうき君のバックで優雅に踊りました。

 この日の観客は奄美会関係者を中心に約50人。前夜祭の前にあったイベントを見にきた都会の若者らもそのまま残り、大きな拍手を送りながら写真を撮っていました

大島紬を身にまとって踊る奄美会女性部

花束を手に歌う徳永ゆうき君

CD購入者との握手会

ゆうき君にお祝いとエールを送る奄美会女性部

大盛況の大展望台club333

 奄美会女性部長の中井良子さんは「同窓会で歌ってくれ、いっぺんにファンになりました。奄美の人間は情熱的で団結力がとても強いです。みんなでゆうき君をずっと追いかけて応援していきます!」などと力強いエールを送りました。

 ゆうき君は今年3月、大阪の高校を卒業して上京。4月から毎月1回、東京タワー大展望台club333でワンマンライブを開いていることから、同所での前夜祭となりました。

 ワンマンライブは今年が今月26日と12月17日。来年は1月28日、2月25日、3月25日にも予定されています。

・奄美新聞の記事をネットで読む

(徳永ゆうき関東応援団長・新島栄勝=S45年実高卒、2013.11.14up)


関東古高会総会・懇親会開催−叶副幹事長と山田が出席

 第54回関東古高会総会・懇親会が11月10日、東京・品川区の同区立中小企業センターで開催されました。本同窓会からは会長、幹事長の代理として叶副幹事長と事務局長の山田が出席しました。以下、会の模様等を簡単に報告いたします。

関東古高会で祝辞を述べる叶副幹事長(中央)

 総会・懇親会には来賓を含め105名が出席。碇永光弘会長によるあいさつの後、会務・会計・監査報告が満場一致で承認されました。

 その後、来賓の一人として指名された叶副幹事長が54回目の総会について祝辞を述べた後、「東京配田ヶ丘同窓会はまだ13回目を迎えたばかりで、皆様方の伝統に近づけるよう頑張っていきたい。また、ホームページなどを通じて情報交換を行っていただきたい」などと交流を呼び掛けました。

 懇親会の部では、島唄や新民謡、カラオケ、ギターとサックスの演奏、サルサ同好会によるダンスなど盛りだくさんの余興が次々と繰り広げられ、最後は島のブルースと六調の踊りでお開きとなりました。

あいさつする碇永会長

祝辞を述べる叶副幹事長

島唄を歌う徳原大和(右)さんと露崎博子さん

「童神」を歌う池田睦さん

シンガーソングライター・ギタリストの大友栄一郎さん
「瀬戸内哀歌」を歌う久永さとみさん

「ふるさと篠川の風」を歌う金井直利さん

「高校3年生」を歌う古高会37同期古希の祝いのメンバー

島のブルースを踊る参加者

 小生は、関東古高会総会への出席は初めてでしたが、会務報告の中にあった若い人達の加入を呼び込むため、 夢の島公園でバーベキュー大会を行ったことなどが参考になりました。

 今後も互いの同窓会が発展していくよう、いろいろ情報交換していければ良いな、と思った次第です。それにしても、古仁屋高校は元ちとせさんやRIKKIさんら多くのプロ歌手を輩出しているだけに、芸達者な方が多いのには感心しました。

(山田記、2013.11.11up)



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