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初冬の江戸東京たてもの園を訪ねて−yama

 小生は12月初旬の某日、東京都小金井市にある江戸東京たてもの園を訪ねた。東京都が墨田区の江戸東京博物館の分館として、1993年に小金井公園内に建設した。

 敷地面積はは約7ヘクタールで東京ドームの約1.5倍。現地保存が難しい江戸時代後期から明治・大正・昭和初期の歴史的建造物を移築復元し保存展示することで、貴重な文化遺産を次世代に継承していくことを目指している、という。

 建造物群は東ゾーン(下町地域)とセンターゾーン(山の手地域)、それに西ゾーン(多摩地域)の3地区に分類展示されている。西ゾーンには三鷹市の農家などと共にわが奄美の高倉も展示されていたのには、「何故ここに?」と少々驚いた。


江戸後期から昭和初期の建物が並ぶ下町中通り

同上

見頃を迎えた園内の紅葉

 東ゾーンには下町中通りを中心に昔の商家や銭湯、旅館、居酒屋などが建ち並び、歩きながら下町の風情が楽しめ、懐かしさとともにその時代へタイムスリップした感覚を覚えた。

 商家の中には商売道具や筆、やかんなどの商品が展示され、往時の人々の暮らしぶりと雰囲気を醸し出している。また、他に当時の交番や火の見やぐら、都電などが展示されている。


子宝湯(銭湯)

子宝湯玄関上の彫刻

昭和初期のしょうゆ屋

江戸末期から明治初期の旅館

荒物屋内部

文房具屋内部

居酒屋内部

明治後期の万世橋交番

皇居正門石橋飾電燈

上野消防署望楼上部(火の見やぐら)


 西ゾーンには、威容を誇る三井財閥の邸宅やおしゃれな田園調布の民家、写真館などが山の手通りに面して配置されている。さらに西側へ進むと、農家などと共に奄美の高倉(小金井市指定有形文化財)が建っている。

 宇検村にあったというこの高倉は、今は閉館した民族学博物館を経て武蔵野郷土館(江戸東京たてもの園の前身)に移築され引き継がれたものだ。2月の会員フォト「日本の古民家を撮る−mayu」に掲載された大阪府豊中市の高倉も宇検村から移築されたものだった。

 案内板によると、高倉は高温多湿の地域に発達したもので、国内では南西諸島の他に東京都の八丈島などにも見られるそうだ。しかし、この地区は、下町中通りや山の手通りに比べ行き交う人も少なく、閑散としていた。


三井財閥の三井八郎右衛門邸玄関

同上邸表側

大田区田園調布の家

建築家の前川國男邸

ドイツ人建築家デ・ラランデ邸

園内の紅葉

三鷹市の農家

八王子千人同心組頭の家

奄美の高倉

 センターゾーンには、たてもの園の出入口となるビジターセンターの旧光華殿や二・二六事件で青年将校らに暗殺された高橋是清の邸宅など、歴史を伝える建物が復元展示されている。

 光華殿は紀元2600年記念式典(昭和16年)のため建設された式殿で、翌年、小金井公園に移築され命名された。その後、たてもの園の開園にあたりビジターセンターに改修された、という。

 最も興味があった高橋是清邸は、来年1月末(予定)まで修繕工事を実施中で、残念ながら見学できなかった。


正面出入り口のビジターセンター(旧光華殿)

たてもの園の案内板

旧自証院霊屋


 案内してくれたボランティアスタッフによると、年間の来園者数は約25万人に上り最近は外国人も増えているという。事実、ヨーロッパ人や中国人がカメラ片手に紅葉を楽しみながら散策していた。

 小生は、お花見などで小金井公園には何度も来ていたが、たてもの園まで入るのは初めてだった。園内では伝統工芸の実演などさまざまなイベントが毎月、随時企画されている。

 今回は時間が無く、じっくりと建物内部まで見ることができなかった。たまには近世日本の町並みを訪ね、懐かしい景観と伝統的な行事を疑似体験するのも良いのではないか、と思った。


 余談ながら、小生の知人2人がたてもの園でかやぶき家の燻煙(くんえん)作業と園内ガイドの
ボランティアをやっている。園によると、ボランティア登録者数は約160人ほど。中高年齢者層の生きがいにもなっており、応募者も多く人気が高いようだ。


(実高S43年卒、2018.12.11up)

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