昭和20年生まれ、38年機械科卒の佐々木一宇・・・戦後78年に思う・・・ 奄美大島で生まれ、高千穂丸から西鹿児島駅、顔真っ黒で東京生活45年、何時も配田ヶ丘の中にあります。 母の介護で単身帰省して15年。楽しい時、悲しい時、苦しい時に日記代わりに短歌を詠むようになりました。短歌で愚痴ることが増えたのも高齢の証でしょうか(笑) 私の愚痴短歌にお付き合い戴けましたら幸いです。
・「ああ昭和」井戸水汲みて薪を割る 生きてる証し手足のあかぎれ ・齢たけて右脳左脳は五つ六つ どっこい本能まだまだこれから ・湯気けむるお風呂は母の火吹き竹(ひゅうくし)の 音冴え冴えと昭和の佳き日 ・一本の棒が我が家の南京錠 貧しき中にも温もりのあり ・土ホタル恋の炎は鳴かぬ愛 赤く激しく瀬留の山に ・終戦に数多の英魂おろがみて 負けた無念に蝉泣きやまず ・昭和(あのころ)の喫茶はどこも薄暗く・・・小さな声でふたりの世界 ・振り向けば過ぎし昭和の人生よ 色濃き時を日々ひたすらに ・ああ神よせめて平和をウクライナ 生まれる国を選べぬ民に ・夕暮れて過疎村の路地あてどなく 寄り添い歩く野良猫わびし ・ヤンゴ通り夜ごと集まるネオン街 不満悩みの溜まり場なるや ・コロナ禍に注射待つ人不安げに 耐える顔あり祈る顔あり ・立神岬(たちがみ)は神様たちの夜会かも しぶき飛び散り銀の波見ゆ ・クロウサギ鈍ちん、のろく草やぶへ 小さき土産の五つ六つあり ・民草(たみくさ)と言われし昭和ありしこと 思いだしつつ生き永らえる ・配田ヶ丘昭和の若きに還る場所 校舎変われど校歌くちずさみ ・広報の赤ちゃん名前の読み難き フリガナ無ければ読めない無学 ・熟年は病の話題友(とも)三人(みたり) 転ばぬ先の老人ホームの ・哀楽を重ねし日々を短歌(うた)にせん認知の頭脳掘り返しつつ