サンシン会の発表会に参加−記原正一郎
東京奄美サンシン会(会主・本田輝峰さん)の発表会が10月1日、東京都豊島区の南大塚ホールで開催され、小生も会員の一人として練習の成果を発表させてもらいました。
歌ったのは「道節(みちぶし)」。昨年に続く2回目の参加でした。緊張感も手伝って出来はいまひとつでしたが、お囃子(はやし)を担当してくれた会員の米田リエ子さんに助けられながら、最後まで歌い終えることができました。
また、当日は会員による発表会の間に、ゲストとして招かれた石原久子さんらが島唄を披露。それを聞いて、プロはさすがに違うなと感じ入りながら、一歩でも皆さんに近付きたいとの思いを新たにした次第です。
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「道節」を歌う小生(右)とお囃子の米田さん
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サンシン会のメンバーは約60名。 豊島区の南大塚地域文化創造館の会議室等で月に2回、島唄(ヒギャ節=大島南部の唄い方)の練習会を行っており、毎回20〜30人ほどが参加しています。
小生は10数年前から、さいたま市の知人宅で黒糖焼酎を飲みながら習っていましたが 、1曲1曲確実に歌えるようなりたいと思い、2年前にこの会に入会させていただきました。
発表会は、奄美の伝統文化である島唄とサンシンを後世に伝えて行くのを目的に開催しており、今年は第20回目でした。奄美2世3世をはじめ、奄美とは縁のなかった大和生まれの方々を含む40人ほどが参加しました。参加者は関東圏ばかりでなく、遠く奈良県明日香村からも駆け付けてくれました。
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「むちゃ加那節」を歌う米田さん
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ゲストの池田さん(右)とお囃子の本田会主
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メーンゲストの石原さん
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伊是名の会による琉球舞踊
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発表会の幕間では、ゲスト出演の石原さんと池田哲也さんが島唄を、金藤のぶひこさんは民謡と尺八を披露。また、伊是名の会は琉球舞踊をベースにした創作舞踊を3回にわたって踊り、舞台に花を添えてくれました。
特に奄美からお越しいただき、「芦花部一番節」など3曲を歌った石原さんの歌声に魅せられました。ご高齢にも関わらず、背筋を伸ばした姿と伸びやかで魂のこもった声、力強いサンシンのバチさばきにはとても感動を覚えました。
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にぎやかな曲の「稲摺り節」
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小生の場合、練習会には仕事やいろんな行事と重なり、年間5〜6回しか参加できていませんが、今後は極力増やして上達していきたいと考えています。また、場数を踏む意味でも同窓会や郷友会等の懇親会でも歌っていきたいと思います。
ところで、この日は本同窓会関係者も踊りや応援で多くの方に来場していただきました。司会進行を務めながら発表者として「むちゃ加那節」を歌い、小生のお囃子もしてくれた米田さんをはじめ、踊り連の皆さま・応援の方々、ありがとうございました。
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「六調」では観客も舞台上で盛り上がった
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(東京配田ヶ丘同窓会会長=実高S38年卒、2016.10.08up)
奄美シマ唄と私−折原誠司(その2)
HP管理人から=同窓会総会でシマ唄を歌ってもらっている会友の折原誠司さん。3年前に同じ題で原稿を書いていただきました。その後も精進を重ね、奄美シマ唄関連のイベントで活躍中です。
今年8月の「奄美島うたのど自慢大会」では出場者の三線とお囃(はや)しを、さらに9月4日開催の「東京龍郷会総会」でも奄美ウタシャ(歌者)の第一人者である森山ユリ子さんの囃し方を務めました。
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東京龍郷会でユリ子先生の囃しを務める私(右)
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のど自慢大会では伊賀さんの囃しを務めた
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今回、東京山ゆり会の森山ユリ子先生(龍郷町出身、奄美市在住)が東京龍郷会総会にゲストとして招待され、会員の我々14人も前座兼応援団として、参加することになりました。
私がユリ子先生の三線とお囃しを務め、「くるだんど節」「嘉徳なべ加那節」「長雲節」、そして「いきゅんにゃ加那節」などを歌ってもらいました。
いきゅんにゃ加那節では会場の皆様も合唱してくださり、 島ッチュの皆さまはさすがにシマ唄をよくご存知だと感心しました。
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そろいの浴衣で豊年節を踊る山ゆり会のメンバー
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私は現在、月に2回、池袋のカラオケボックスで山ゆり会の練習に参加しています。また、年に5〜6回ほど、会の皆さんと共にさまざまなイベントでシマ唄を歌っています。
最近では、江東区の夢の島であった我那覇美奈さんによる「夢の島熱帯植物館スペシャルライブ」で、そろいの浴衣を着て八月踊りを披露しました。
観覧者は奄美関係の人たちを中心に60人ほどでしたが、多くの方々が一緒に踊ってくれるなど、やりたかったことが達成できたという喜びで感無量となりました。
また、8月の「奄美島うたのど自慢大会」では、山ゆり会のメンバーである伊賀美佐子さんが島唄の部で優勝し、三線を務めた私も大きな喜びに包まれました。
3年前、同じ題の原稿にも書きましたが、私は奄美とは縁もゆかりも無い千葉県の生まれです。そして、優勝した伊賀さんも東京生まれの千葉育ちでした。ところが、シマ唄に出会ってからは二人とも奄美の世界にどっぷりと浸かっています。
今回の115回目となる龍郷会は、出演者も多く時間が足りないほど充実していました。最後は、宴が終わるのを惜しむかのように、ユリ子先生が六調を次々と歌って盛り上げてくれました。
そして今回も参加者の皆さんが心から喜び、楽しんでいるのを見て「シマ唄は良いなあ!」と改めて思った次第です。また、自分自身も大変うれしく思い出に残る出来事となりました。
(2016.09.10up)
エラブユリの花が東京・三鷹市のわが家の庭で満開となっている。わが家でそれを咲かせるのは初めてだ。今、真っ白い花とエラブユリ独特の香りに包まれ、久しぶりの興奮と満足感を味わっている。
昨年7月、東京沖洲会会長の平山芳孝さんからユリの球根をたくさんもらった。植える時期が早いかもしれないと思いつつ、何も植えてなかった小さな花壇に早速、穴を掘って球根を植えた。
いつ芽が出るのだろうと、毎日花壇を眺めた。秋から冬になり新年になっても、何の変化も無かった。沖永良部に比べ、当地は寒い所だから土中で腐ったかもしれないと、内心穏やかでなかった。後で分かったことだが、ユリは11月ごろが植え時だ。
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大輪の白いエラブユリ
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地温が上がり始めた2月の終わりごろ、ようやく土の中から芽が一つ顔を出した。それからはどんどん全部の芽が出てきた。肥料を施し雪と寒さを少しでも避けたいと思い、ビニールで囲いをした。
ユリがだんだん生長する姿は、大げさだが赤子が一日一日成長する姿にも似て、自分の気持ちが興奮していくのを覚えた。今、高さは1メートルほどにもなり10個前後の見事な大輪の花を付けている。倒れないよう支柱を立て支えないと、自立できないほどだ。
エラブユリが東京で咲いている。来年も咲かせるよう工夫をしたいが、誰か教えてほしい。
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アジサイとユリのコラボ
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支柱で支えられたエラブユリ
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HP管理人から=知名町のHP(ホームページ)に「えらぶゆりを花壇・庭園で楽しむ栽培方法」が載っています。こちらをクリックしてみてください。
また、HPでは「えらぶゆり栽培のはじまり」も紹介されています。
それによると、明治31年(1898年)、沖永良部島の沖合で嵐のため難破したイギリス船に乗っていたイギリス人を喜美留(きびる)集落の伊地知季道氏が助け自宅に連れ帰って手厚く介抱しました。
やがて、元気になったイギリス人は集落内を歩き回りそのときに裏山のソテツ山に自生している白いゆりを見つけました。早速持ち帰り伊地知季道氏に「この花はイギリスではクリスマスには無くてはならない花であるので球根を植え付けて増やしてください。必ず買いに戻ってくるから」と言い残し帰って行きました。
翌々年、約束どおり助けられたイギリス人が沖永良部島にやってきました。その人こそ横浜でゆり球根の貿易を営むアイザック・バンテイング氏でした。それまでは雑草として抜き捨てられていたゆり球根が、当時のお金で3,000円という高値で買い取られ、今日まで続く「えらぶゆり」となりました。
(S32年実高卒、2016.06.09up)
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