実家のある徳之島にはちょくちょく帰郷していたが、奄美市と母校訪問は49年ぶりだった。最初に校門の位置が変わっていたのには戸惑った。また、狭かった運動場は無くなり、3年間住んでいた寮は外観だけが当時のままで、窓は壊れ廃墟と化していた。
中央通りのアーケード街や銀座通りはシャッターが閉じたままの店も多く閑散としており、往時のにぎやかさは無かった。少子高齢化の進行や人口減、それに大島紬製造業の落ち込みなどを考えれば、こんなものかもしれない、と思った。
一方で、LCCの就航で観光客は多くなっているようで、それなりにホテルはにぎわい混雑していた。東京から予約を入れるのに一苦労したほどだった。
|