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壺井栄原作で高峰秀子が主演した「二十四の瞳」の映画化から今年で70年になった。
その当時、文部省特選に指定された映画は日本中で大きな感動と評判を呼び、高校では映画鑑賞会も開かれた。
素晴らしい映画で、私は小説も読み大変感激した思い出がある。それ以来、いつかはぜひ香川県・小豆島の田浦の分教場を訪ねたいと思い続けてきた。
近年加齢と共に足腰も弱くなり体力も落ちてきたため、何とか実現したいと早速計画し、昨年11月下旬に2泊3日の日程で実現した。
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高峰秀子主演の映画ポスター(画像クリックで拡大します) |
夫婦共々の感動と感激の有意義な旅になった。初日、まず初めに岬の分教場を見学。私の小学校時代(奄美市小湊)と同じ木造の平屋の校舎で、椅子と机もそっくりだった。
次は映画村。撮影場所と「壺井栄文学館」、木下恵介監督の業績など数多くの展示物があった。さらに田浦の岬の浜辺の近くにある「二十四の瞳像」など、見学時間が足りないほどだった。
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当時の教室と机と椅子
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岬広場に建つ「二十四の瞳像」(大石先生と遊ぶ子供たち) |
作品の
あらすじは、瀬戸内の海辺の一寒村を舞台に女学校を出て小学校に赴任した大石先生(おなご先生)と、その年に入学したばかりの12人の生徒(男子5人、女子7人)との交流を通じて、日本が太平洋戦争へと突き進んで行く中での教師と生徒たちの苦難や悲劇を描いています。
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分教場入り口(左は平和の象徴・ハトを持つ子供)
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岬の分教場
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同じく岬の分教場 |
自分の記憶が正しければ、映画では戦争場面は全く描かれて無かったが、総じてこの映画に貫かれているのは、作家・壺井栄の反戦・平和と貧しい庶民がたくましく生きる力が作品に込められており、多くの方が共感を寄せるのだと思う。
同時に子供たちが先生を囲んで、師弟愛と平和を願う世界へと旅立つ貴重な姿が美しく感じ取れる。前記の通り、多くの反戦映画の中でも戦争場面の無い珍しい反戦映画だったのではないか、と思っている。
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「二十四の瞳」映画村
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田浦の岬と砂浜 |
分教場の別室には見学者の膨大な寄せ書きが整理され、自由に手に取って閲覧できる。スタッフの説明では、夏休みに入ると現役教師と教師志望の大学生が多く訪れる、という。
教師の中には教育に自信を失いかけていたが、分教場見学で教えるための術と貴重な力をもらい、思い直してお礼を述べて帰られるとのことだった。
また、教職課程の大学生は仲間同士で来て、将来の教職に希望と自信を深めている姿を見かけるのが、大変うれしいと語られていた。
小豆島・「二十四の瞳」の旅・・・忘れがたい、良い思い出がまた一つ加わった。感謝!!
HP管理人から⇒いつだったか覚えてないが、若い頃に高峰秀子主演の映画「二十四の瞳」を見たことがありました。その清楚な美しさに息をのんだことがあったのを覚えています。
これまで多くの女優による同じ作品が映画やTVで作られてきました。モノクロながら高峰秀子主演の作品が一番印象に残っています。
当時はここだけで無く、日本の地方では似たような境遇の人が多かったのではないかと思われます。「からゆきさん」と呼ばれる”出稼ぎの女性”も多くいたようです。
現在でも、眼前(TVなど)では露・ウ戦争など容赦ない殺りくの世界が繰り広げられています。世界各地では今でも「二十四の瞳」のような子供たちを多く生み出しているのではないか、と思っています。 小生も一度は「二十四の瞳」の舞台を訪ねてみたいと思いました。
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