大宮薪能を鑑賞して−宮田美千枝
5月下旬の某夜、私はさいたま市在住のKさんの誘いを受け、大宮にある武蔵一宮氷川神社で薪能を鑑賞した。薪能は初めてとあって、難しいせりふ回しなど理解できない個所も多かったが、厳粛な雰囲気の中で演じられる世界にすっかり魅せられた。
夕暮れ迫る中、長い長い参道を通り抜けた先に氷川神社はあった。このお社は 皇室も御参拝される由緒ある神社で、境内には厳粛な雰囲気が漂っていた。大宮薪能は、東北・上越新幹線が開業(昭和57年)したのを契機に開催され、今年で35回目を迎えた。
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赤い鳥居の会場入り口
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赤い鳥居の前には見事な生花が飾られ、鳥居をくぐると大宮薪能が始まって以来の35枚のポスターが年度順に並べられていた。生花やポスターに刺激を受けた私は、いやが上にも期待に胸を膨らませた。
大宮薪能は、@一つの流派にとらわれず三つの流派の演者が一堂に会し出演する A宮居と称される武蔵一宮氷川神社の荘厳な境内に能舞台が設営され、舞台を包み込むように椎(しい)の木のご神木がそびえ立っている―ことなどが特長である。
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能舞台と開演を待つ観客
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暮れなずむ中、薪能開始前に素謡「翁」、雅楽、火入れ式の順でセレモニーが行われた。うっそうと茂る森の中、篝(かがり)火に照らされた神殿や舞台の美しさ、静けさに息を潜めていた私は一瞬の間、身震いすら覚えた。
続いて演じられた能「巴」(観世流)は、木曽義仲と巴御前の物語。幕間の狂言「魚説法」(和泉流)は野村萬斎と竹山悠樹が演じ、漫才を見ているようで分かりやすく面白かった。最後の能「石橋」(金春流)は、ある法師が浄土に向かう場面の中、石橋の上で赤と白の獅子が豪快に舞う姿などが演じられた。
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幻想的な雰囲気の中で行われる薪能(提供:さいたま市) ※写真は当日撮影のものではありません
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薪能は歌舞伎に比べ、言葉の抑揚やせりふ回しなどが難しくて理解できない個所が多かった。が、それでもプログラム片手に厳かに奏でられる笙(しょう)の音や鼓の響きに引き込まれ、いつの間にか身を乗り出している私がいた。そこには幽玄と幻想の世界が出現しており、私は何とも表現し難い落ち着きと喜びを感じた。
静寂さの中で篝火がパチパチと弾ける・・・。ふと、空を見上げると静かに雲が流れ、星が一つ輝いていた。室内の能楽堂では味わえない体験に大きな喜びと興奮、生きる力をを感じながら帰路に着いた。