会員からのお便り

世界遺産の旧富岡製糸場と北信州の原風景と紅葉を求めて-N.Y
〜おじさん7人の珍道中記〜

 小生は10月、いずれも定年を過ぎた顔見知りのOB7人と、柄にもなく世界遺産を勉強する一泊二日の小旅行に出掛けた。実のところ、世界遺産の勉強というよりは北信州の紅葉と温泉に魅かれ、小生は参加を決めた。
  コースは、群馬県の旧富岡製糸場〜浅間山の鬼押出し〜白糸の滝〜志賀高原・熊の湯ほたる温泉泊 〜秋山郷で、往復約600キロのドライブ旅行だ。秋山郷は長野県下水内郡栄村にあり「日本の原風景100選」にも選ばれている秘境だ。ここは平家の落人達が開いた集落とされている。
 志賀高原から秋山郷まではは2000メートル級の山々が連なり、正に日本の背骨を走る感覚だった。錦秋の山々が織りなす見事なまでの錦絵。その美しさに今までにはない感動を覚え、白濁の源泉の湯で疲れを癒やした。また、秋山郷では平家の血を引くという民俗資料館のおばあさんとの会話に心を洗われ、充実した旅となった。

色付き始めたブナの原生林(軽井沢〜志賀高原の道中)

製糸場の糸製造機械前で(赤シャツが小生)

白糸の滝前で

世界文化遺産の旧富岡製糸工場正門

 初日(所沢〜旧富岡製糸場〜志賀高原)

 21日(火)午前7時過ぎ、小雨そぼふる中オジサンたちが埼玉県の西武線所沢駅東口に集結。同30分に8人乗りのワンボックスカーに乗り込み所沢駅前を出発すると、間もなく後部座席の5人は宴会モードになった。ビール、おつまみはたっぷり用意されている。
 この調子で朝から宴会をして夜まで持つのか、心配しながら小生も酒宴に加わった。運転手と助手はお茶とコーヒーを楽しんでいる。関越高速道から上信越道に入り、富岡インターを出て旧富岡製糸場に近い駐車場に車を止め、正面の土産店通りを通り正門へ向かった。
 他グループのガイドさんの説明を盗み聞きしながら小一時間ほど散策。同製糸場は日本の近代工業の発祥地で、繭から糸を紡ぎ世界へ生糸を輸出していた。その機械化された工場を見て、明治初期にこのような機械を作った日本の機械メーカーの技術に驚きを覚えると共に誇らしさを感じた。
 製糸場を出て軽井沢経由で浅間山の鬼押出しへと向かう途中、昼食を取った。お馴染みの 「峠の釜めし」だ。何回か食しているが、昔と比べ味が薄いと感じた。加齢のせいで味覚が変わったのか、それとも味が落ちたのか。皆と 「昔に比べ何か味が物足りないねー」などと話しながら、完食する自分がいた。

長野県軽井沢町の「白糸の滝」

 軽井沢から浅間山山麓一帯は、ブナなどを中心に樹木が色付き始め、オジサンばかりでも旅情が高まる絶好のドライブコースだ。そして車は一路本日の宿泊地、志賀高原を目指した。赤石山、笠岳、横手山など2000メートル級の山々が次々と迫って来る。
 いつの間にか道中の木立は錦色に染まり、所々に点在する紅葉が真っ赤に燃えていた。山上の道路から谷をのぞくとその風景は息を飲む美しさだ。 手つかずの大自然が織りなす光景を初めて目の当たりにした。さらに曲がりくねった山道を抜け、夕日に映え黄色く染まったカラマツ林を堪能しながら車は走った。
 夕暮れが迫る頃、本日の宿となる熊の湯ほたる温泉に到着した。志賀高原はスキー場が多く、このホテルは玄関がスキー場のゲレンデに直結しており見晴しが良かった。スキーシーズン前とあって、宿泊客は少なくひっそりとしていた。
 早速温泉に浸かり、初めて体験する白濁の湯に興奮し、一晩に3回も入浴してしまった。ホテルの食事はマツタケ三昧で、5種類のマツタケ料理を味わい秋を堪能した初日だった。実はこの夜、我々は夕食後さらにホテルでの宴会を予定していた。しかし、さすがに昼間の飲み過ぎがたたったのか、昔話を語らうのみで秋の夜は静かに更けていった。

軽井沢付近の車窓からの風景

紅燃える木立

浅間山の鬼押立し入り口通過

昼食の「峠の釜めし」

夕食のマツタケの土瓶蒸し
夕食は鍋料理(マツタケはどこだ?)

2日目(志賀高原〜秋山郷〜所沢)

 2日目は朝から大雨だった。ホテル前は濃霧で見通しがきかない。山道のドライブが心配になり、50分ほど出発時間を遅らせてみたがいっこうに天候は回復しない。このままホテルに閉じ込められていてはもったいない話だとなり、ゆっくり走行で目的地の秋山郷へ向かうことになった。
 カーナビを頼りに車を進めても遠回りばかりを案内するので、地元の人に聞いたコースを道路標識に導かれながら進んだが、カーナビ画面には通過中の道は表示されなかった。雨はまだ降り続き濃霧が発生していた。同乗者の皆も少し不安な表情を浮かべてきた。分岐点を通過する度に「右だ」「いや左だ」「まっすぐだ」と、数回停車して道路地図で確認しながら幅の狭い山道を慎重に進んだ。
 この選択が功を奏したのか(?)、思いがけないほどの紅葉や野生動物の自然な姿を楽しむことになった。 道中、タヌキさんのお出迎えに始まり、しばらく行くと今度はおサルさんの出迎えに一同は大興奮。道路以外は、全く人間の手が入っていない自然のままの紅葉の雑木林に覆われた道が数キロ続いた。何度も車を止め、大自然の秋を満喫した。小生は紅葉の季節に奥多摩や奥秩父などへ車でよく出掛けたものだが、今回のような一大紅葉絵巻の道は初めてだった。

濃霧立ち込める朝(ホテル前、後方は笠岳)

天を覆うブナの大木
紅燃える木立

 道に迷いながら山道をおそるおそる走ったため、ようやく昼過ぎに秋山郷到着。一同ホッと一安心した。秋山郷は一定の地域に集落が固まり観光施設もあるものと想像していたが、その予想は完全に裏切られた。家屋は道路上の山の斜面に点在し平地には民家がなかった。各家には道から徒歩で行かねばならない。しかも観光施設らしき建物、店も見当たらない。駐車場も見当たらない。 まさに秘境、日本の原風景だ。
 秋山郷は民俗資料館訪問が目的だったが、その看板が見当たらなかった。人の通りもなく集落道路を2、3回往復してようやく手作りの木製看板を見つけた。「この上民俗資料館」と記されている。見上げると20メートル位上の山の斜面にそれらしき2階建ての古民家があるではないか。 道端に車を止め山道を登った。息切れしたオジサン達の目の前に民家の入り口が現れた。古き時代の土間と台所の情景が飛び込んできた。
 中に入ると80代の優しそうなおばあさんがいた。特別に案内するわけでもなく、各人が自由見学である。幼少時代、奄美の島々のどの家にもあった足踏み脱穀機、木製の畝立て機、糸車、豆腐箱等々懐かしい農機具が所狭ましと置かれていた。山々に囲まれた秘境の地を感じさせる狩猟生活の道具も多かった。
 しばらく見学していると、階下からおばあさんの声がした。「昼飯はまだか? 蕎麦なら出来るよ。お茶入れるからこちらへ来なさいよ」と呼んでいる。「 えッ、お茶もらえるんだって!」。一同顔を見合わせ、ごちそうになることにした。

濃霧で道に迷い途中の看板で現在地を確認する

日本の秘境100選、雨の秋山郷(民俗資料館より眼下を撮る)

囲炉裏を囲みお茶をいただいた(秋山郷資料館にて)

手作りの看板に親しみを感じた秋山郷民俗資料館

  階下に降りるとおばあさんが囲炉裏(いろり)の前でお茶と自家製漬物を用意していた。皆で囲炉裏を囲みお茶と山ウドの漬物、大根の漬物をいただきその美味しさにビックリし、お土産として買うことにした。みんなすっかりおばあさんに打ち解け、囲炉裏の火を囲みながらおばあさんの話を聞いた。集落の移り変わりやご自身の生活の話等、貴重な話ばかりだった。
 聞くところによると、夫婦で古民家の住居を開放し展示物を収集し自力で民俗資料館を作った。観光客に昔の暮らしを案内するのが何よりもの楽しみだそうだ。遠い所から訪ねてきてくれる人達に、秋山郷の質素で素朴な生活や昔の風景のままの姿を案内したい、と語ってくれた。
 秋山郷も近年は時代の波に飲まれて過疎化が進み、今では30数軒の民家が点在するだけになった、という。近くに国道も開通し昔の本当の秘境とはいえないかもしれないが、集落の皆が平家を祖先とし誇りをもって生きている姿を見聞きし、日本の原風景の面影が残る山里に心を洗われた。
 時間が経つのも忘れるほど感動した秋山郷を午後3時ごろ出発。新潟県津南町と十日町を経由し関越道石内インターに入り、一路東京へ向かった。高速道は渋滞することもなく順調で、午後6時半所沢帰着となった。

 2日間にわたり交代で運転手役を買ってくれたO・K・Hさん、安全運転をどうもありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。紅葉シーズン真っ盛りです。会員の皆さんも新たな紅葉スポットを訪ね、ぜひこのHPに投稿しましょう。

(実高S44年機械科卒、2014.10.30up)



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