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台湾・阿里山を再訪して−HP管理人

 HP管理人は9月下旬、3泊4日の日程で台湾を訪ねた。20余年前に見た阿里山のご来光や雲海を再び見るのが一番の目的だった。その他、台湾中部の景勝地・日月譚なども周遊し、それなりに楽しむと同時に躍動感あふれる台湾を感じた小旅行だった。
  阿里山は台湾を南北に走る5大山脈の一つで、平均標高が2500メートルの高原地帯だ。一帯は国家風景区に指定され、森林浴など台湾の自然環境が楽しめる代表的な観光地だ。その中でも阿里山森林鉄道祝山駅の展望台から見るご来光は、富士山頂のご来光に匹敵するほど人気がある。
  20余年前に来た際は、友人らと10人ほどで玉山(3952メートル、日本での旧称は新高山)に登るのが目的だったため、阿里山のご来光をそれほど期待してなかった。しかし、その時に見た感動が忘れられず、もう一度訪ねたいと思っていた。たまたま某旅行社の企画で阿里山のご来光を鑑賞する添乗員同行のツアーが見つかり、今回は妻同伴で参加した。

玉山山系から昇るご来光(午前6時5分ごろ)

ご来光を受け輝き始める山々と樹木

 ご来光鑑賞の展望台がある祝山駅は標高2451メートルにある。添乗員ら含め21人の一行は午前5時過ぎ、前泊したホテル近くにある祝山線沼平駅(2274メートル)からディーゼル列車に乗った。この列車の時刻は日の出に合わせ出発時刻が変わるため、事前の確認が必要だ。
 列車は急坂をゆっくりと進み、15分ほどで祝山駅に着いた。ここは富士山の6合目当たりに相当する標高だそうだ。 当日の日の出の時刻は6時4分。展望台までは数分もかからないが、乗客は良いロケーションを求めて急ぎ足で階段を上った。既に展望台には200〜300人が陣取り、小生らは他人の頭越しに見る形となった。
 展望台では近くの売店の主人がご来光の解説をしながら、商品の宣伝を大きな声で延々としゃべりまくっていた。待つこと20数分、予定時刻通り玉山の連なりからご来光が顔を出した。 雲一つない快晴だったためか、地上の木々に強い光りが降り注ぎ急に明るくなった。
 以前見たような、上空の雲がゆっくりと茜色に染まり始めだんだんと地上が明るくなっていく神々しさと荘厳さが少し足りないように感じた。現地ガイドによると、ご来光や雲海が見える確率は3割程度とのこと。また、阿里山のご来光を初めて見た妻は「感動した。家内安全を願った!」と話してくれたので、小生はそれで満足した。

かわいらしい小さなディーゼル列車が乗客を運ぶ

ラッシュアワー状態(?)の帰路

阿里山〜祝山駅間のチケット

掲示板に表示されたご来光と帰りの出発時刻

ご来光を待つ観光客

ご来光が昇る前の玉山山脈

ビンロウ(ヤシ科植物)とバナナの樹(車窓から)

バスで阿里山を登るにつれ茶畑が広がる(車窓から)

製茶場で茶葉の選別作業をする女性

製茶場の主人がウーロン茶を試飲させてくれた

中部台湾を代表する景勝地・日月譚(遊覧船が多く、神秘的な雰囲気はなかった)

 雲取山などでご来光を見た経験から、ご来光が神々しく有難く見えるのは山の上空に雲が適度に棚引いているほうがいいようだ。下の写真は20年余前に撮影した阿里山のご来光と同山系で見た雲海の風景だ。
  前日まで適当に雨が降っており、その日は上空に雲がかかり満天の星空ではなかった。ガイドが話していたように、ドラマチックなご来光を拝み、良い写真を撮るには何回も通い何日も粘る必要があるようだ。

阿里山のご来光(1991年5月)
阿里山の雲海(1991年5月)

小旅行を終えて

 台湾は九州ほどの広さに約2300万人が暮らしている。今回の旅行では高速道路や台湾高速鉄道(いわゆる台湾新幹線)、高層ビルが林立するなど社会インフラが充実しているのに感心した。また、近年の対中融和政策や経済関係の緊密化などによって中国に対する緊張感は感じられなかった。
 20余年前来た時は、故宮博物院の周辺でも小さなトーチカを幾つか見掛けたが、今回は見掛けることが無かった。ただ、台北忠烈祠の衛兵交代を見たり、現在でも18歳から1年間の徴兵制度があることを聞き、海峡を隔て中国と対峙(たいじ)している現実があるのを感じた。

台湾の南北を結ぶ高速道路(車窓から)
台北101(101階建て、地上高約509メートル)


  今回、台湾での移動はほとんどが観光バスだった。現在、阿里山森林鉄道の嘉義〜阿里山間は数年前の台風災害などの影響で不通状態となっている。同区間にはスイッチバックやループラインがあり、鉄道ファンにとっては垂涎(すいぜん)の的となっているそうだ。
 小生はいわゆる鉄ちゃんではないが、完全復旧の暁には、またそれに乗ってみたい、と思っている。また、友人のINOさんも建設にかかわった台湾高速鉄道にも乗ってみたい、と思う。
 徴兵制で海兵隊を1年間務めたという、現地ガイド(Rさん)の観光案内も面白かった。地理や 歴史、文化、風俗など知識も豊富で、ずっと飽きさせなかった。
 今回は観光コースに入ってなかったが、日本の統治時代に石川県出身の八田與一が台湾南部に烏山頭ダムと用水路を建設し、農業振興に貢献したことなどにも触れていた。一方で、その時代には霧社事件など陰惨な出来事も多かったが、一言も触れなかったのが印象に残った。

夜市の風景

故宮博物院

台北忠烈祠の衛兵交代式(背が高く美男子揃いの衛兵に同行の女性陣は見とれていた)

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(山田信廣=S43年実高卒、2013.10.02up )


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