会員からのお便り

龍郷町のアラセツ行事「ショチョガマ」に初参加−アマミのクロウサギ

 国の重要無形民俗文化財に指定されている龍郷町秋名のアラセツ(新節)行事「ショチョガマ」が幾里地区であり、私も参加させてもらった。住民が山と海の神々に五穀豊穣を祈願するこの祭祀(さいし)は、毎年旧暦8月最初の丙(ひのえ)に当たる日に行われており、今年は9月7日がその日となった。
 400年以上の歴史があり、戦中戦後に一時途絶えたものの1960年に地域住民が保存会を結成し復活させたそうだ。当時の保存会の方々でご健在なのは、秋名小学校で教師を務めていた前田重治先生ただお一人。かなりのご高齢ながら、現在は宇検村芦検で元気に暮らしている。
  前田先生に当時のことを伺ったところ「龍郷村会議員の窪田さん(現保存会長の父君)ほか4〜5人で始められたことや色々な苦労があったことなど」を懐かしそうに話していた。

祭祀終了後、両手を挙げて朝日に感謝する参加者(午前6時50分ごろ)

 当日は夜明け前の午前5時過ぎ、集落と田畑を見下ろす山の中腹に建てられた片屋根のわらぶき小屋「ショチョガマ」の先端に数名の青壮年が上り、チジン(島太鼓)が厳かに打ち鳴らされ祭祀が始まった。
  保存会の窪田圭喜会長(72歳)が、宮司として祝詞を唱え豊作を祈願した後、屋根には小学生から大人まで数十人の「男衆」が乗り、集落の若者の唄と「ヨラ、メラ」の掛け声に合わせ、屋根を揺さぶった。

   夜の闇に浮かぶショチョガマ(午前4時30分)

  屋根の上のススキ(稲穂を表す)

屋根(地上3メートル)に上った青壮年(午前5時)

東の空が少しずつ明るくなった(午前5時30分)

数十人の青壮年がショチョガマを揺らした
ご来光の差す中、ショチョガマは北側に倒れた
(午前6時30分ごろ)

 朝日が差し始める午前6時30分ごろ、ショチョガマは北側にゆっくりと倒れた。すると男衆は、お神酒をいただきながら倒れた屋根の上で八月踊りを繰り返し踊った。本来、ショチョガマは南側に倒すとされているが、北側に倒れるのは珍しいという。
  窪田会長は「北側に倒れるとシャーアブシマクラ(下畦枕)、南に倒れるとウーアブシマクラ(上畦枕)と言って、どちらも翌年は豊作になると言われている」と話していた。

お神酒をいただきながらショチョガマの上で踊る集落の青壮年

集落の青壮年に代わり観光客も朝日に感謝の手を挙げていた(午前7時ごろ)

 私は奄美(宇検村)へ帰って今年で7年目。この祭祀に初めて参加させてもらったが「夜明け前の緊張感」「ショチョガマに乗れる喜び」「ご来光を拝む感動」。そして踊って祝う体験をし、地域に伝わる伝統行事の大切さを実感した1日だった。
 祭祀後、窪田会長宅でエビのあら汁をご馳走になり、帰りにはショチョガマの屋根に使われたわらを少し持ち帰り、先祖の仏壇に供えた。
  当日は午後4時過ぎから、同じように五穀豊穣を祈る「平瀬マンカイ」が同集落の海岸で行われた。しかし、私は宇検村の石良集落の豊年祭出席がありこれには参加できなかった。来年こそはこの祭祀もぜひ見てみたいと思っている。

(佐々木一宇=S38年実高卒、2013.09.16up )


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