会員からのお便り

趣味は人生を豊かにする糧−和田純男

 私の一番の趣味は囲碁である。始めてからもう40数年にもなり、私は75歳となった。今では上には上があるという意味で、所持段位は“はしご段”を自称。近くのコミュニティーセンターで初心者向けの囲碁教室の講師を務める一方、介護施設の入所者相手に囲碁をするなど、趣味のおかげでそれなりに充実した生活を送っている。

私と囲碁との出会い

 私が囲碁を始めたのは20代後半の頃だった。それまでは某役所に就職した後も、高校時代に覚えた将棋に熱中。昼食を素早く済ませてから、職場の休憩室で将棋好きの仲間と将棋を指していた。しかし、将棋好きの仲間は2〜3人と少なく、同じ相手と何度もやっているうちに手の内が分かり、飽きてくるようになった。

三鷹市のコミュニティーセンターで仲間と囲碁を楽しむ私(右端)

 そんな中、休憩室には囲碁を打つ仲間が20数人ほどいた。何も分からない囲碁の盤面をじっくりと眺めているうちに自分にもこれが出来ないものだろうか、と心の中に何か感じるものがあった。それが囲碁との付き合いの始まりだった。
 それからは先輩や仲間の迷惑を顧みず、基本から一つ一つ教えてもらった。その世界の常識用語すら理解できない始末で、ぼうぜんとした状態が続いた。それでも何とか食らい付き、2年が過ぎる頃には陣地とか目とかが理解できるようになった。
 その頃から囲碁がとても面白くなり、それこそ寝食を忘れ夕食を済ませた後や休日には町の碁会所通いが始まった。夢の中で碁を打ったこともあるほどで、どこの駅に行っても碁会所の看板は目ざとく見つけ出すことができた。

趣味を持つ意味

 そうこうしていうちに平成10年、私はめでたく役所を定年となった。当然のことながら仕事仲間からは離れてしまったが、囲碁仲間との付き合いはどうしても切れなかった。いや切ることができなかった。
  かつて先輩から「趣味は人それぞれだが、何か一生続けられる趣味を持ちなさい」と言われたことがあった。その意味が今、心から理解できるようになった。他人からそんなに好きなら、腕前は相当なものだろうと聞かれるが、前記の通り“はしご段”と答えている。上には上があるもので一つ越えればまた一つ上へ、はしごの段は続いているという意味だ。

囲碁は男性ばかりでなく女性にも人気がある

 私にとっての囲碁の面白さは、負けそうになっても陣形を変え戦法を変えることによって、大逆転の可能性があることだ。碁盤と白・黒の石しかない単純な競技に見えるかもしれないが、戦略は無限にあり奥深く深みのあるゲームだと思っている。 陣地を奪い合う戦いの囲碁が戦国武将に好まれ、現在の政治家でもそれを趣味にしている人がいると聞くが、分かるような気がする。
 私は前にも記した通り、ボランティアで介護施設の入所者を相手に囲碁をし、三鷹市のコミュニティーセンターの囲碁教室に通っている。介護施設には大勢のお年寄りが来ているが、何も出来ないお年寄りがいかに多いかが分かる。だが、囲碁のできる人は若かりし頃に戻ったような気持ちで、生き生きとその一時を過ごし、負けても勝っても囲碁は面白いと話しているのを聞く。趣味を持って生きることが、いかに大切かが理解できる。
 不思議なことに前週、相手をしたばかりなのに「はじめまして」と挨拶する人もいる。しかし、いざ囲碁を始めるときっちりと打ち、少々面食らうことがある。医学的なことはよく分からないが、囲碁が脳神経に良い刺激を与えているのではないか、と思っている。
  超初心者を対象に始めた囲碁教室だが、それこそ私が始めた時と同じで、右も左も囲碁が分からない人たちばかりだ。私は、この人たちが仲間と自分なりに囲碁を楽しんでもらえるよう、お手伝いをしているところだ。しかし、最近は団塊の世代の大量退職もあり、有段者もかなり入って来るようになった。

ネットで囲碁を楽しむ私

 また、インターネット時代となった今日では、言葉の分からない地球の裏側の愛好者ともネットを通じ、囲碁を楽しめるようなった。まさに隔世の感を禁じ得ない今日この頃だ。時代は変わったものだ、とつくづく思う。ともあれ、いろんな人と囲碁の時間を共有でき楽しめることは、人生を豊かに過ごしているのではないか、と思っている。
 以下はおまけ・・・10年ほど前、次のような歌を作って作曲者にメロディーをつけてもらい、しばらく仲間内で歌っていた。その一部(記憶にある部分)を記した。

  361個の升目の上は 白と黒が踊ってる
踊る石にも心があれば 石置く手先に夢がある
夢よどっこい大きく開け 次は陣地に花が咲く
次は陣地に花が咲く

(S32年実高卒、2013.04.12up)


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