会員からのお便り

 

短歌と私−アマミノクロウサギ

 日本は「歌の国である」とつくづく思う。万葉の昔から各地で和歌が作られ、上は天皇や貴族から下は防人(さきもり)・農民までが自身の生活に根付いた歌を自由に作り、気持ちを表していた。
  現在でも全国紙や地方紙、それにローカル紙などに短歌の応募があり、毎週もしくは毎月われら庶民の歌が新聞や雑誌などで紹介されている。

ベレー帽が大島先生、宮崎緑館長の左隣が私(奄美パーク・田中一村記念美術館にて)

  僻遠(へきえん)の地・ここ奄美でも短歌会が30団体ほどあり、私は宇検村で大島安徳先生(86)の指導を受けながら「やけうち短歌会」を主宰している。 焼内湾の地名にちなんでつけられた当短歌会は、平成19年7月に村の「生涯学習・公民館講座/短歌教室」として、講師の大島先生の指導の下、13名で発足した。
  短歌の普及発展と会員相互のコミュニケーション、そして地元小中学校の児童生徒に普及活動する中、現在では児童生徒85名と成人66名、合計151名の歌友が所属。大島先生のお人柄もあり奄美の短歌会の中では、最大の会員数を抱えるほどになった。
 短歌教室は第1、3水曜の月2回、村の公民館で開催。会員にはあらかじめ決められた兼題や自由題で短歌を作ってきてもらった上で、大島先生に添削をお願いする一方、会員相互で批評し合い作品の質を向上させている。

公民館講座/短歌教室の勉強風景(村の公民館にて)

 作品発表の場は地元新聞2紙の短歌欄に応募する一方で、村内にある焼酎工場に併設されたレストランのロビーをお借りし、短歌を短冊に貼り付け掲げさせてもらっている。
  また、平成21年3月には、鹿児島県奄美パーク園長・田中一村記念美館長である宮崎緑さんのご好意で、「奄美パーク・田中一村記念美術館」に成人300首、児童生徒30首の短冊を掲示した短歌展を開催させてもらった。この18日間の企画展示会には、2256名が来館し、いまだに「田中一村記念美術館」の記録になっているそうだ。

短歌展を鑑賞する人(奄美パーク・田中一村記念美術館にて)

短歌の短冊(奄美パーク・田中一村記念美術館にて)

 私の短歌作りに対する基本的考えは、「難しく考え過ぎず、素直な気持ちを表現する」「話し言葉で書いても問題なく、5・7・5・7・7でなくてもかまわない」「文語体と口語体を混ぜなければよい」などと話している。
  紹介が遅れたが、当短歌会の講師役を買って出た大島先生は、宇検村久志の郵便局在職中から「あおね短歌会」に所属。NHK全国短歌コンクールでは数回入選・優秀賞などを授賞された宇検村の文化人だ。

平成24年度の忘年会(宇検村やけうちの郷にて)


 ・下記は「やけうち短歌会」発足時に大島先生が詠まれた歌

   思ひあふる やけうち歌会の 今ぞ発つ
     枝手久(いだと)の大空 澄みわたりたり

 ・ 以下2首は私の短歌。この歌も含め、会員便りのサブページに「配田ヶ丘短歌会」として、まとめてもらった。こちらもご覧いただければ幸甚だ。

   久方に生(あ)れし赤尾木訪う病父(ちち)の
            あふるる涙に我も泣きいし
   
   空襲をくぐりて老母(はは)は吾を生む
     23歳(にゅじゅうさん)の乙女命を賭けて

 (佐々木一宇=S38年実高卒)


 HP管理人から=4年ほど前、龍郷町立龍南中学校の還暦同窓会で、同村の焼酎工場に併設されたレストランを訪れ昼食を摂ったことがあった。その時にも短歌の短冊が、ロビーの壁に20〜30枚ほど掲示されており、興味深く目を通した。
 小生はその際、大変失礼ながら宇検村にもこのような短歌を詠める人がたくさんいるのだな、と感心した覚えがある。それを主宰していたのが佐々木さんだった、と最近知った次第だ。
 当HPでは、短歌などの投稿を募集しています。作ったことのある方・ない方を含め、応募をお待ちしています。自身の作品にいまひとつ納得いかない場合は、佐々木さんに添削をお願いしましょう。応募は、HPトップページのメールアイコン経由でお願いいたします。

(2013.04.08up)


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