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奄美ゆかりの中尊寺を訪ねて−HP管理人

 HP管理人は晩秋の某日、妻を伴い鹿児島県の奄美大島ともゆかりがあるという岩手県平泉町にある中尊寺や青森県の奥入瀬などを訪ねるツアーに参加した。ツアー申し込み時点では、その頃には東北の紅葉は終わっているだろう、と期待してなかった。しかし、今年は暑さが長引いたせいで、紅葉シーズンは1〜2週間遅れ気味だった。十和田湖畔や奥入瀬などの紅葉も十分に楽しむことができた。


中尊寺金色堂。見えるのは金色堂の覆堂

 中尊寺と奄美とのゆかりというのは、境内の北西側に位置する金色堂内の螺鈿(らでん)細工に使われているヤコウガイだ。このサザエ科に属するヤコウガイが、その大昔、奄美や沖縄のサンゴ礁の海域で採集され使われたのではないか、というのだ。
 鹿児島県奄美市では1990年代の半ば以降、市北部の笠利町土盛マツノト地区など数カ所の海岸近くで、遺跡が発見され発掘・調査された。7世紀から10世紀ごろの遺跡からは、ヤコウガイの貝殻が大量に出土した。
 これら遺跡の発掘調査に携わった奄美市立奄美博物館長の中山清美氏(考古学、文学博士)によると、「今後詳しい調査が待たれるが、貝殻は食料残滓の他に奄美大島の地域が螺鈿材料の供給地だったのではないか、という説が浮上した。ヤコウガイが奄美から京都や奥州に運ばれた可能性も含め、興味深い研究分野になっている」という。


ヤコウガイ(サンゴ礁の岩場に生息し、15〜20cmほどに成長する)
(フリー写真、石垣海辺COM提供)

  今年1月、奄美博物館であった講演会「世界遺産平泉から〜文化と歴史を活かしたまちづくり」の中で、講師を務めた八重樫忠郎氏(平泉町役場、前世界遺産推進室次長)は、南海産のヤコウガイが東北地方まで大量に運ばれ、金色堂等に螺鈿として使われた様子などを解説したそうだ。
 またこれより先、NHKでは世界文化遺産(2011年6月登録)となった平泉の特集番組を全国放映。その中でもヤコウガイの産地などについて、奄美と関連付けて編集していたそうだ。

土盛マツノト遺跡(奄美市立奄美博物館提供)
ヤコウガイの貝殻で作られたさじ(同左)

 金色堂内のヤコウガイは加工され、4本の黒漆が塗られた巻柱や須弥壇(しゅみだん、仏壇)、長押(なげし)に至るまで使われ、白く光り輝いていた。透かし彫りの金具や堂内外に張られた金箔(きんぱく)などと合わせ、見るからに金色堂そのものが一つの美術工芸品として形作られていた。
  平泉町のホームページなどによると、金色堂は平安時代後期の天治元年(1124年)に上棟され、阿弥陀如来の仏国土(浄土)を表す仏堂建築で、同時に藤原氏4代(清衡、基衡、秀衡、泰衡)の遺体と首級を安置した霊廟だ。金箔の装飾、蒔絵・螺鈿などの漆芸・金細工の意匠、技術を尽くした金色堂は、「無料光(永久に無限の恵みをもたらす光明)」とされる阿弥陀如来の極楽浄土を表現している。(金色堂内は写真撮影禁止、中尊寺のHPはこちら)。


中尊寺拝観のしおり(2ページ)を転載

  また、建物の部材に用いられているのは、東南アジア産の紫檀(したん)・赤木、螺鈿は南海産のヤコウガイで、これらのことから東北の覇者だった藤原氏は、国内ばかりでなく宋王朝(中国)などを含め、広い範囲に及ぶ交易・交流があったことを示している、のだという。
  当時は南西諸島の島伝いに宋などとの交易船が行き交い、そんな中で奄美や沖縄のヤコウガイも商取引され、本土に送られていたのかもしれない。そんな壮大な歴史のロマンを感じながら、秋田県鹿角市のホテルで温泉に入り、日ごろの疲れを癒した。

金色堂の旧覆堂

参道のモミジ

 境内ではちょうど菊祭りを開催していた
妻とのツーショット

  翌日は小雨が降ったり、止んだりのあいにくの天気だった。宿の人は、前夜から未明にかけての風雨で、発荷(はっか)峠辺りの紅葉は散っているのではないか、と話していた。だが、奥入瀬の渓流沿いや十和田湖畔では残った紅葉が、雨にしっとりと濡れ晩秋の風情を見せていた。
  小生は、平泉を含めこの辺りへ旅行するのは初めてだった。新幹線とバスを乗り継いだ1泊2日の慌ただしいツアーだったため、平泉の世界文化遺産を形成するもう一つの毛越寺(もうつうじ)を見ることができなかったのは残念であった。しかし、東北の紅葉や温泉などでそれなりに満足し、次回は新緑が萌える季節に再訪したい、と思った。
  蛇足ながら、今回の小旅行でもスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)やタブレット(多機能携帯端末)を持参した方が、便利でもっと旅先での楽しみも広がるのではないか。名所・旧跡の解説もたちどころにその場で分かり、理解も深まるだろうと思った次第だ。アナログ派を自認する小生だが、「近いうちに」トライしてみようか、と考えている。

奥入瀬渓流の銚子大滝


奥入瀬渓流


奥入瀬川となり太平洋に注いでいる

十和田湖の遊覧船

十和田湖畔の風景

同左


湖畔にある高村光太郎作の「乙女の像」。思いのほかかなりたくましかった

(山田信廣=S43年実高卒、2012.12.02up)


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