宇検村の芦検民謡保存会の定例会に参加しました。芦検の「かんつめ節」は私が習った「かんつめ節」とは全くメロディーが違いました。そこで初めて聴く唄、初めて見る踊りも多く、島の文化の多様性と奥深さを改めて感じました。
特に「芦検稲すり踊り」の唄と踊りが印象的でした。そこで歌われる「汗水節」と「稲すり節」は、沖縄民謡とのつながりが深く、三味線の音階や奏法が沖縄民謡っぽいな、と感じました。また「芦検稲すり踊り」は、天皇陛下の神事としての御田植え祭りに奉納したのが始まり、とのことでした。
島唄を学ぶに当たっては、そういう文化的背景や歴史を知ることも大切だなと、実感した次第です。最後は保存会の方々が、太鼓を叩きながら芦検に伝わる送別の唄で、私を見送ってくれました。皆さんの温かい気遣いに感動し、つい感激の涙を流してしまいました。
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芦検民謡保存会の皆さんとの歓談風景 |
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「芦検稲すり踊り」の由来が記されていた | 送別の唄で見送られた |
奄美市の名瀬長浜町では、島唄教室を主宰する生元(いけもと)高男さんの「青鳩会」に参加しました。集団に対する指導法や発声法など、教室独自の指導方法は大変勉強になりました。その教室でも、ご好意で20分ほど歌わせて頂きました。
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島唄を披露させてもらった(奄美市名瀬長浜町の金久分館にて)
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青鳩会の皆さんと記念撮影(最前列右から2人目が生元さん)
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奄美市ではまた、瀬戸内町網野子出身の森チエさん(91歳)に島唄を習いました。古くから歌い継がれてきた歌詞を教えて頂きました。一緒に歌いながら教えて下さるので、島唄独特の「間」を学びました。
加えて、島唄に対する心意気を肌で感じました。森さんは唄のすごみもそうですが、人間としてのスケールの大きさを感じました。
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森チエさんから指導を受けた | 左は三味線店「福盛堂」店主の盛浩司さん |
勇気を出して積極的に動く事で、今回も得るものがたくさんありました。叔母の同級生や親戚の友人など、人と人のつながりが見え、とてもうれしい思いがしました。
島唄は、今は亡き祖父母が大好きだったので、ずっと大切に歌い続けていくつもりです。
島唄を歌っていると、祖父母が近くにいるような気がします。島唄を始めた事で、奄美全体が自分の故郷だと思えるようになりました。
私の両親のルーツは奄美市の浦上と大熊ですが、訪ねた土地と人に愛着が湧いてきます。今後も奄美の伝統芸能である島唄の継承と普及に努めて行こう、と思っています。
HP管理人から=榮百々代さんの母親は、関西配田ヶ丘会の榮米代さん(旧姓:前山、実高家政科卒)です。百々代さんは、島唄の大御所である武下和平さんの教室に15歳で入り、35歳で武下流師範となりました。
現在、主婦業をこなしながらプロの唄者として、関西を中心にライブ活動や市民大学の公開講座などで島唄を披露し、その普及に努めています。東京配田ヶ丘同窓会も声援して行きたいと思います。
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武下和平さんとの共演(右が榮さん) |
榮百々代さんご主人のブログ http://blog.livedoor.jp/daduda/archives/2012-09.html
榮百々代さんツイッター @0914momo
(了)
(2012.09.29up)