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ハワイ・パールハーバーを訪ねて−HP管理人

 HP(ホームページ)管理人は4月初旬、個人的所用のために初めてハワイを訪れた。その機会を利用して、かねて行ってみたいと思っていたパールハーバー(真珠湾)のオプショナルツアーに参加した。戦後生まれの管理人だが、教科書で習った太平洋戦史に思いを馳せながら、その地を実際に目にしたかったためである。
  パールハーバーは1941年12月8日(日本時間)、旧日本海軍の南雲忠一中将率いる機動部隊が、米国海軍の太平洋艦隊基地に対して奇襲攻撃を加え、太平洋戦争の直接のきっかけになったことで知られている。
  湾内には、その時の爆撃と自艦弾薬庫の爆発で今も沈んでいる戦艦アリゾナの上に白亜の「アリゾナ記念館」が建てられ、降伏文書の調印式場となった戦艦ミズーリと日本艦船を攻撃した潜水艦ボーフィンが係留されている。

戦艦ミズーリと棺のようなアリゾナ記念館

 ここは日本人にとってはめでたい場所でないためか、ワイキキなどに比べ日本からの訪問者は少なかった。一方で、米国人にとってはこの一帯が鎮魂の場であると共に誇りの地でもあるのか、米国人が圧倒的に多かった。
  また、日本人来訪者の年齢層を見ても若者は少なく、同行のツアー客はほぼ全員が還暦以上の人達ばかりだった。旅行代理店の担当者は「昔はこのツアーは日本人にも大盛況だった。が、最近の若者は日本とアメリカが戦争したことさえ知らない人が多くなっている。仕方ないのかな」と話していた。
  シャトルボートでアリゾナ記念館に渡ると、戦死した艦長以下1177名の名前が大理石に刻まれ、その下には巨大な戦艦アリゾナが水没しているのが見えた。大爆発で艦の損傷が激しく遺体の回収は困難とのことで、戦死者は 艦と共に永遠の眠りについている、という。今でも第3砲塔の辺りからは、少しづつながら油が流れているのが見え、痛ましい感がした。
 一方、戦艦ミズーリは、太平洋戦争ばかりでなく後の朝鮮戦争や先の湾岸戦争にも参戦。50年余の就役の間、数々の戦果を挙げ現在では記念艦として保存されている。日本人にとって横須賀の戦艦三笠がそうであるように、米国人にとってミズーリは栄光の戦艦と言える存在だ、と思った。

多くの米国人が戦艦ミズーリを訪れる

 ワイキキビーチなどはのどかで平和そのものに見えたが、ハワイには米国の陸軍、海軍、海兵隊、空軍の太平洋司令部が置かれている、という。事実、この湾内にもイージス艦などの艦船が停泊。写真撮影禁止の場所もあり、ここはそれなりの緊張感に包まれていた。
  お手軽で歴史の上っ面を単になぞるだけだったが、太平洋戦争の始まりと終わりを象徴する「アリゾナ記念館」と戦艦ミズーリが近くに留め置かれているのを見ながら、それなりに満足し来て良かったと思うツアーであった。

攻撃された時の様子がイラスト入りで描かれている(ボーフィンが係留されている公園で)

戦艦アリゾナの上に建つアリゾナ記念館

戦死者の名前が記された大理石に黙祷する観光客

ミズーリの16インチ主砲と砲塔。前後合わせて計9門の主砲を備えている

降伏文書調印式場となった戦艦ミズーリ甲板の一部はロープで仕切られている

ミズーリの戦闘指揮所内部

潜水艦ボーフィン



ボーフィンの魚雷発射室

(山田信廣=S43年実高卒、2012.04.11up)

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