レポート


40数年ぶりに母校を訪問して−叶 正喜

 小生は去る2月18日(月)、津田和紀幹事長と一緒に母校の奄美高校を40数年ぶりに訪ねた。

 訪問のきっかけは、津田幹事長と今年の東京配田ヶ丘同窓会で使う予定の会場を下見した際、同じ時期に奄美へ帰省する話が出たことだった。

 めったに無い機会なので、ぜひとも母校を訪問し、3月に卒業する後輩の動向や母校の状況等を伺うことになった。

校訓をバックに。左から森園校長、津田幹事長、小生、瀧教頭

 当日は、郷土芸能部を担当する松島伸子先生の計らいもあり、瀧道昭教頭先生の出迎えを受け校長室で面会した。昨年春、開催した東京配田ヶ丘同窓会のパンフレットを見てもらいながら、森園正治校長先生と教頭先生に同窓会の活動状況などを説明した 。

 森園校長先生からは「学校は昨年4月に機械電気科を新設して新生奄美高校としてスタートしたとはいえ、奄美高校本来の姿を構築する途上にあり、やるべきことが山積している。そのような時期に、学校や後輩学生に対する先輩の皆さんからの激励は非常にありがたい」との言葉を頂いた。

 また、母校は2017年に100周年という記念すべき年を迎える、との話も聞いた。最後にずうずうしいお願いとは知りながら、額縁の校訓「自主創造の精神」「友愛奉仕の態度」「不撓不屈の根性」をバックに、記念写真を撮らせてもらった。

 お聞きしたいことは山ほどあったが、時間の関係から次の機会にと思いながら退席した。校長先生と教頭先生には校務ご多忙な中にも関わらず、とても丁寧に対応して頂きありがたく思った。

 卒業以来、本当に久しぶりの母校訪問だったが、それにしても学校の様相が昔とは大きく様変わりしていたのにはビックリした。とても残念だったのは、学校敷地内に(当時も狭かったが)校庭が無かった事だ。在校当時、正門で一礼してから校庭を通過し校舎に入った思い出が脳裏をかすめ、非常に寂しく感じた。

 屈託がない後輩たちを横目に見ながら、母校を後にした。将来に夢を託し、勉学にクラブ活動にと励んでいる青春真っただ中の後輩の皆さんの益々の活躍を祈念してやみません。

12回総会小冊子(2012年度)の表紙を転載(当時は工事中)

昭和42年当時の母校の航空写真(大実の人文字が見える)。中央の道路は古見本通り、手前は奄美小学校
(提供=関西配田ヶ丘同窓会

(実高S43年卒、本同窓会副幹事長兼総会実行委員長、2013.03.24up)


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